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バリ島観光

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2010年 1月12日(火)13時34分5秒
編集済
  バリ島はヒンズ-教の島である。ジャワ島はイスラム教の島である。ラマダン開けに、ジャワ島から高速フェリ-で多くの人がバリ島観光に来る。日本人もよく来る。また、ニュ-ジ-ランドやオ-ストラリア、etc。私たちがバリ島を訪れたのは丁度この様な時期であった。

ヒンズ-教の寺院に行くと男女とも腰巻きのような布を腰に巻かれる。連れの者は、途中でタクシ-を止めその布を買っていった。寺院について、布を腰に巻き付けていたら、女性が寄ってきて、きれいに結んでくれた。親切な人だなと思っていたら、すかさず5000ルピアと言って、手を出した。僕はぼ-っとしていたら勝手に腰に布を巻かれ、やはり5000ルピアを要求された。布を巻くのは、ヒンズ-寺院にはいるために必要なことと物の本に書いてあったが、わずか1分ですむ様な作業で1000円取られたことになる。寺院巡りのご利益なぞあるのだろうか。いや、これで御利益がないわけがないと思い返した。

バリ島は伝統工芸が多く残る島である。更紗、絣等の繊維関係、銀細工、木工彫刻、絵画、これらがウブドを中心に盛んである。皆回ってみたが、結局買い物ツア-であった。本当の現場を見たかったのだが。レゴンダンス、ケチャックダンス、バロンダンス等、伝統的ダンスも盛んである。物語性のあるこれらのダンスは王侯貴族の物から土着の物まで多様である。小さな島になんと多くの芸術があることか。

 また、この島はサ-フィンの島である。海に行くと多くの人がサ-フィンを楽しんでいる。サ-フィンの出来ない我々は海際で遊んでいた。  キンタマ-ニ高原は涼しいところだった。見晴らしの良いレストランで食事をしたがハエが多いこと。ハエだって食料があって景色の良いところが良い決まっている。

クタの町を歩いていたら青年が寄ってきてマッサア-ジはどうかと言ってきた。1時間で600円だそうである。日本から比べると格段にやすい。ではということで早速お世話になったが、26才のその青年には妻と子供が居るとのことだった。田舎なので、現在は独りでデンパサ-ルに住んでいるそうである。1時間で100円もらえるとのことでした。日本人が好きだそうである。日本人はチップをくれるから好きと言っていた。こんな事を言って良いのかどうか、ニュ-ジ-ランド人はけちだから嫌いだそうである。これがやみつきになって毎日マ-ッサ-ジに通った。それほどうまいわけではないので、半分ぐらい疲れが取れたような気がしました。

今度行くときは、もう少し的を絞って行こう、そうすればもっともっと癒されるはず。食事もいろいろあり過ぎて何を食べて良いのか分からなかった。焼きめし、焼きそば これは日本で食べてたのと同じような味がした。ただ、暑い、風とうしの良い庶民的食堂で食べていると、さらにビ-ル(これはその食堂にはなくどこかから持ってきた)なぞ飲みながら食べていると、通りを行く老若男女なぞ眺めなが、椰子の葉が揺れるのを眺めながら食べていると、結構おいしい雰囲気でした。


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パリ 美術館

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2009年 6月19日(金)12時54分0秒
編集済
   200年9月、パリを訪れた。芸術の都と言われるだけあって、多数の美術館が存在するが、その中でル-ブル美術館、オルセ-美術館、モルマッタン美術館を訪れた。ル-ブル美術館はもと宮殿であった建物を王侯がベルサイユ宮殿に移動してから、芸術家のアトリエとして利用され、次に美術館になり現在に至るそうである。どこかから突然音楽の演奏が始まり、次いでカンカラン風な物を持った者が走ってきて、その中に何かしかの金をお礼する事が多々あった地下鉄をおり、ル-ブル美術館の中庭に入ったが、大きすぎで入り口が分からず、傍にいた人に聞いたところ、ピラミッド状のガラスの建物を教えてくれた。近寄ると多くの人が並んでいた。入り口を入り、地下に降りるとやっと切符売り場に出た。切符を買い、さてと周りを見回すとどこをどう入ればよいのか分からない。パンフレットで調べてみると、どうやら二つの館に別れているらしい。それぞれ名前が付いていた。こっちにするかと連れの者と回廊を行くと、真正面にミロのビ-ナスが控えていた。高い台座の上にミロのビ-ナスが立っている。見上げて、私はどきっとした。生きている目と出会ったような気がしたのだ。や-といって目の前にいるビ-ナスをなぜて見たくなったが、これはやめにした。驚いたことに、その後もそうであったが。写真撮影O.K.なのである。それからは、次から次から写真で見た彫刻や絵画やetcばかりであった。半裸で民衆を導く自由の女神、レオナルドダビンチの最後の審判もあったような気がする。そしてモナリサの微笑み、この絵の周りには縄張りがあり近づけない、が写真はフラッシュをたかなければよろしということであった。この絵にも驚いた。モナリザが私を見て微笑んでいると思ったのである。ミロのビ-ナスとモナリザには生きている存在を感じた。これが芸術の極致なのだろうか。駆け足でくたくたになって一回りしたが、何か物足りない、そうだナポレオン一世の戴冠式はみていない。どこにありますかと、つたない英語で館員に尋ねたところ、ここをこう行ってこう行ってと教えてくれた。ここをこうかなどとふらふらしながらやっと見つかった。縦6.2m、横9.8mだそうであるが。きらびやかな色彩と巨大さにまず圧倒された。しばらく見とれていたが、連れの者がナポレオンて意外とおじいさんねなどと言っている。誰をナポレオンと勘違いしているのかなと、指さす方を見ると、後で分かったのだが、ナポレオンの後ろに座っているロ-マ教皇をナポレオンと勘違いしたらしい。そんな風にも見えるかと、絵画鑑賞の多様さに改めて思いをはせた。

 別の日オルセ-美術館をたずねた。ル-ブル美術館の対岸にあるこの美術館は19世紀美術の殿堂である。印象派、象徴派、写実派、後は覚えていない幾つかの派の名画が陳列されている。ゴッホ、セザンヌ、ドガ、ルノア-ル等の印象派の絵の数々。ここでもフラッシュをたかなければ写真撮影は許可されている。日本の厳重な規制を経験している身としては何でこの様なことが許されるのか理解できなかった。いやむしろ、この方が当たり前なのかも知れない。ゴ-ギャンの絵も沢山陳列されていた。この画家は象徴派だと言うことをはじめて知った。写真などで見ると平べったいと感じていたが。実際目の前で見ると確に作者の熱い思いが伝わってきた。ゴッホとのアルルでの共同生活、サマセットモ-ムの月と6ペンスに出てくるゴ-ギャンと実際の絵から受ける印象は何かが違っているようにも思えました。
 オルセ-美術館には立派なレストランがあり、私たちはよく分からないのだが、おいしそうに思える物をそれぞれ注文しました。生ビ-ルのジョッキを空けながら待っていると私の方には茶色の野菜のシチュウの様な物が出てきました。スプ-ンで食しましたがなかなかの味でした。連れの者にはさらにおいしそうな料理が届きました。大きなさらに野菜の炒め物と分厚い鱈だとおもう魚のソテ-でした。半分食べて、交換して食べてみましたが、このソテ-、日本では味わえないほどの美味。隣の白髪のご婦人方を見ると、白ワインを氷の桶で冷やしながら、なにやら食べていました。その食べ方がとてもおいしそうで、しばし見とれてしまいました。名画、名画を見おわって外に出てから、そうだここには、私の最も好きな絵の1つのミレ-の晩鐘と落ち穂拾いがあった事を思いだしとても残念な思いを致しました。また来よう、いつのことかはわからねど、そう思いました。外に出てセ-ヌ川沿いを散歩をしているとバスが来たので乗ろうとすると、若者が日本語でこのバスは切符を持っていないと乗れませんと教えてくれました。そして、なんなら切符をお譲りしましょうかと言ってくれたのですが、丁重に断ってさて雨も降ってきたしなぞと思っている所に地下鉄乗り場がありやれやれ助かったわけです。

 モルマッタン美術館はパリの閑静な最高級住宅街の住宅を美術館に改装した美術館です。なるほど、何人かの人が並んでなければ通りすぎてしまいそうなたたずまいでした。このモネの絵の美術館にはかの名高い印象派という名前のいわれとなった印象日の出が展示されているはずです。きれいな室内にきれいなモネの絵が沢山陳列されていました。あらためてモネはい-な-などと思いました。大きなきれいな絵の前の長椅子に腰掛けて休んでいると、隣にいた白人の男の人が話しかけてきました。私は75才です。というので、そうですかと応えて絵をみていると、又この人が、わたしは75才です。と言っています。わたしもまたそうですかと応えて絵を見ていましたが、しばらくして、そのおじさんはどこかに行ってしまいました。そうだ、印象だと探してみたのですが、似たような絵はあるのですが、めざす絵が見あたりません。その絵を見るために来たのにとやや憤慨してお土産を売っている若者にどこにあるのか聞いてみましたが、レストという応えでした。あの絵は、現在お休み中か。これまた残念という次第です。
 ところで、この一画に大統領ご夫妻がお住まいだとか。キョロキョロしてみましたが、広い通りに同じような家があるばかりで何も分かりません。せめてもハイレベルのご婦人にでも出くわせはしないかとぶらぶらしてみたのですが、公園には子供を遊ばせる奥さんばかりでした。
 

セ-ヌ河畔にて

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2009年 3月16日(月)12時00分38秒
編集済
   2008年9月12日から、パリに7泊する旅行に行ってきた、中国航空のジャンボ機でまず、北京に向かい、空港でのろのろ検閲で、飛行機搭乗の15分前に、やっと手続きが終え、機上の人となった。格安旅行のせいか、食前酒は出ず、食後に一杯だけ飲ましてもらえた。卑しい私は、お代わりをを注文したが、だめ、と断られてしまった。たまたま飛行機の窓際に座れたので、所在なく外を見ていたが、地上がよく見えた。中国の中央部を通り、ゴビ砂漠の上空を過ぎた。ゴビ砂漠は私が描く砂漠の光景ではなく、不毛の土の大地のような印象であった。モンゴル、シベリア、フィンランド?、他の上空を通過し同じ12日にパリのドゴ-ル空港に着いた。電車の切符は、案外スム-ズに買え、パリ北駅で地下鉄に乗り換え、途中ちょっとしたことがあり、カデット駅に着いた頃には、外は真っ暗であった。駅の外に出て、オ-トバイに乗っかっている若者にホテルの生き方を聞き、そのとおりに行くと目指す3星のプチホテル、マットルホテルに着いた。カウンタ-では記帳もなく名前を告げるとすぐ鍵をくれた。2階に上がり、小暗い廊下で電気のスイッチを点けたが、これが直ぐ消えてしまう。部屋に入ると、なるほどと思える一部屋だけのプチな部屋にベッドが二つ並んでいた。見上げるような所に小さなテレビが据え付けられていたが、これが、ベッドに寝ころんでみると、丁度、目線があい、一種の合理主義を感じた。目の前のレストランでよくわからないメニュ-からウエイタ-のお勧めの料理を頼み、その後に感じたのは、料理を頼めば必ずパンが付いてくることであった。お薦めのワインを飲み、シャワ-を浴び、直ぐ寝てしまった。次の日、朝食を食べにホテルのレストランに出かけたが、パンが2種類、コ-ヒ-をはじめ、5種類ほどの飲み物、大きめなサラミソーセイジ、マ-ガリン、ジャムととても簡素な朝食でした。これが7日間同じメニュ-でした。周りの人も、色々な人種がいましたが、文句も言わず黙々と食べていました。アジアの豪華なバイキングを経験している者としては、やや物足りない気がしました。
 サ-観光だと、まず連れの者が行ってみたいと言っていたソルボンヌ大学を目指しました。地下鉄に乗り、最寄りの駅で降り、外に出ると、目の前に翡翠色のセ-ヌ川が流れ、多くの観光船が行き交っていました。すぐ右手にはノ-トルダム寺院が川の中の小島に聳えていました。ちなみにノ-トルダムとはマリアという意味だそうで、あちこちにあるそうです。ソルボンヌはどこですかと、道行く人に聞いてみましたが、聞かれた方も観光客らしく、申し訳なさそうな顔で、分からないと言う意志表示でした。何人目かの人が分かってくれて、教えてくれたのですが、早口のフランス語で何を言っているのか分かりませんでしたが、身振り、手振りでなんとか理解し、その方向に5分ほど歩くと、それらしい建物があり、薄く消えそうな彫刻でソルボンヌとフランス語で書いてありました。別の所にはパリ大学とはっきり分かるように彫刻されていました。路上でタバコを吸う男女の学生をかき分けて中に入ろうとすると、門衛のような人がいて、だめ、入れないという仕草をしました。仕方がないので、小さな門を通して中をのぞいてみましたが、壁だけが見えただけでした。連れの者をみると、ややがっかりしたようでしたが仕方がないので諦めて、セ-ヌ河畔に戻り、昼食にしました。セ-ヌ川沿いのノ-トルダム寺院の前のレストランに入り、さて何を食べようかと思ったのですが、人の食べている中で、おいしそうな物にしようと隣を見ると、老夫婦が男が黒い器を抱えて何か食べていました。婦人の方は大きなサラダの皿を食べていました。ウエイタ-に黒いのがおいしそうなので、それを指さして頼んだのですが、やたらサラダ、サラダと繰り返します。私たちは、その都度ノ-、ノ-、と応え、やがて納得したのか、引き下がっていきました。ビ-ルの中ジョッキを気分良く飲んでいるところに、さっきのウエイタ-がサラダを運んできました。目を疑ったのですが、出てきてしまったからには仕方がないので、付いてきたフランスパンをかじりにながら、それでもまずくはない食事を終えました。外に出るとセ-ヌ川には相変わらず観光船が行き交い、ノ-トルダム寺院が聳え、曇り空の下ではありますが、私たちのパリそぞろ歩きが始まったのです。
 

色合わせ

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2008年11月25日(火)11時58分44秒
   色合わせなどと言うと、妙な事を想像する人がいるかも知れないが、これは染色で使う言葉である。色見本に合う染色処方を作成することを、色合わせと言う。この依頼が前回あったのがいつのことか、ちょっと想像できないほどの昔だとおもう。

 今回、木綿を反応性染料で14色の色合わせ依頼があった。糸を返す道具もどこかに行ってしまい、染色ポットのパッキングも老化しており、皆、新しく調達した。10日ぐらいでお願いしたいと言うこと、色見本も糸でわずかな量しか無く、最初はどうなるものかと思ったが、意外に、コンピュ-タ-カラ-マッチングがうまくいき、どうやら10日に間に合った。

 このコンピュ-タ-カラ-マッチングシステムも、今から20年ほども前になろうか、作成したものである。 ブラジルから日系の女性がカラ-マッチングをテ-マに来日し、その女性の親の出身地が大宮市と言うことで、当方で研修することになった。どういう訳か、私が担当に指名された。始め、私の任ではないと断ったのだが、なにしろやれと言うことであった。カラ-マッチングのテキストがあったので、これを読み、2週間ほどで、なんとか理論だけは理解できたような気がしたので、事情もあり引き受けることにした。まず、本人が来る前に、ベ-シク(コンピュ-タ-カラ-マッチング言語;当時はよく使われていた)は理解できるようにと思い、なれないコンピュ-タ-操作と勉強をして、研修生を迎えた。

 彼女も色々なことを勉強しなければ成らず、苦労したことと思う。言葉の壁も私は感じたが、本人は、お母さんとは十分に意思疎通が出来ると言うことで自信のある様子であった。もちろん、たまに同郷の人とでんわで話すのを聞いたが、すばらしく早口のポルトガル語で、どうしたらあんなに速く、口が動くのか感心していた。

 ある日、彼女を連れて、カラ-マッチングの日本のパイオニアにお会いしに言った。色々教えていただき、返り際に、はいと言って5枚ほどの印刷を渡してくれた。始めは、何の印刷物か分からなかったのだが、そのベ-シックで書かれたプログラミングを読み進める内に、これはまさしく、数カ所に欠陥があるもののカラ-マッチングの基礎のプログラミング
であることが分かった。これなくしては、この研修は成功したか分からない。今も、ふと思い出し、感謝している。さて、このプロミングはまったくの基礎の部分であり、色合わせに利用できるカラ-マッチングを作成するには、さらに、比例計算式と染色布のデ-タのランダムファイルを付け加える必要があり、さらに必要なことは、補正計算のプログラミングが必要であった。これらのことは、彼女が帰る際、伝言したが、帰国されてからのことは、分からずじまいになっている。当方は、これらのことを仕上げ、どうやらコンピュ-タ-カラ-マッチングが実際に出来るようになり、色々と染色してみて、大体使えそうなことが分かった。

 しかしながら、コンピュ-タ-カラ-マッチングを実際に使用してくれた企業は1社だけだったように思う。この様なものを普及することの難しさを経験した。研修も行ったが、理論などを優先した研修では、人はついてこない。実際に染めてみる、これをしていれば、と後で思ったことである。

 この様な経緯があったコンピュ-タ-カラ-マッチングの研究であったが、その後、約20年ぶりに、企業からの依頼があり、やっと日の目を見たのである。まだ、薄明かりであるが、輝きを増すことが出来たらと思っています。

 就職して、3年目頃、色合わせの依頼があり、当時は、まだコンピュ-タ-なぞなく、人のカンで染めるのだが、1週間かかっても、萌葱色の赤みが出ず、いい加減なところで手を打ってしまった。やや後で、また色合わせに依頼があり、今度も苦労したが、途中で、赤い染料を他かの赤みに変えてみた。このことでかなり良い色合わせが出来、それから自信がつき、あまり苦労をしなくなった。今でも、たまに思い出すことである。
 

グアムの自然

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2008年 5月 7日(水)13時06分0秒
   グアムには透き通った海がある。あるいはあった。数年前に行ったときの方が、さらに海は透き通っていたように感じた。これは、私が感じたことであり、実際は違うかも知れない。イパオビ-チという所が、ホテルから歩けるところにあり、前回はタクシ-で行ったのだが、今回は手軽に行けたので、毎日出かけた。青い海、青い空、そして、現地の人々の屈託のない笑顔。子供も親も若人も一緒に遊ぶ。そして、目を見張ることには、男も女も、若いも子供も大人も、太っている人が、なんと多いことか。太めを恥じている私としては、ここでは、そんなに目立たない。珊瑚礁に群がる魚の群れ、水面すれすれに泳ぐ、さよりの一連体、同じような形なのだが、体長50cmはある、なんだか分からない魚。そして、底には、ごろごろとナマコが横たわっている。毒も、害もないそうだが、踏みつけるには勇気がいる。青、黄色、赤、黒の小魚。目の前を群れをなしていくので、捕まえようとしたが、だめ。この中では、黒が一番勇気がある、あるいは獰猛で、こちらを睨み付けて、さらには足謎を口でつつきに来る。これが、結構こたえる。私は、これがいると、ひるんでしまった。
 また、夜と、昼、一度ずつスパゲッティを食べた。2人前から2.5人前とメニュウに書いてあったが、さすがのボリウムで二人で、1つ頼んだが、残念ながら二度とも残してしまった。ジャマイカのレストランもすごかった。隣に現地の10代の男女、白、黄色が男、頃が白の彼女のようであったが。この黄色い小柄若者は、話しながら、休み無くスプ-ンを動かし続け、総て食べ終え、さらに白い人が、黒い彼女に残したぶんも、彼女が食べなかったので、食べてしまった。若さか、土地柄か、いや、どちらもか。その、やせ形の青年がとても、うらやましく思えました。夜、私たちが、また、スパゲッティと格闘しているとき、隣の若いカップル、これは日本人でしたが、ロブスタ-を頼んでいましたが、その料理が出てきたのを見て、男性の方が、失敗しましたと、私らの方を見て言いました。何が失敗なのか分かりませんでした。ちなみに、グアムの最大の産業は観光であり、観光客の80%は日本人なのだそうです。今日はこの辺で。
 

体験ろうけつ染め

 投稿者:yoshiメール  投稿日:2008年 3月25日(火)11時16分21秒
  3月の中頃、坂戸にあるろうけつ染め教室を体験をしてきました。融解したろうを筆で、真っ白な手ぬぐいに模様を描き、室温の染色液で染めます。染色液につけて約30分ほどでしょうかかき回していると染まります。青の予定だったのですが、やや紫に染まりました。染料瓶のロットによって色が違ってしまうとのことでした。よく水洗した後、ろうの溶解材を加えた温湯に、被染布を加え洗うと、ろうがとれます。私は、ガソリンのようなものでろうを除くのかなと思っていたので、このような方法でろうが抜けるなら、家庭でも染色可能の様な気がしました。ろうを除き、絞り、アイロンを掛けて仕上がりです。初めてにしては、まあまあかなと思いました。家に帰り、家人にみせたところ、わたしのも作ってくるようにと言われました。若い女性の先生でしたが、着物が好きだとのことでした。入り口にかかっているのれんはどこかで見た、ねずみの柄でした。だいたい、1時間30分ほどです。また、出かけてみたいと思っています。それには、すこし、絵の勉強が必要だと感じました。  

ろうけつ染め

 投稿者:yoshi  投稿日:2008年 2月25日(月)14時12分11秒
  埼玉県でロウケツ染めを行っている所がありましたら教えて下さい。  

マレ-シア ペナン

 投稿者:yoshi  投稿日:2006年12月26日(火)09時29分36秒
  9月の終わりから10月の始めにかけて、マレ-シアのペナンを訪れました。7月にコタキナバルに行きましたが、なぜ、マレ-シアか。答えは簡単で、安い、青い海がある、英語圏、暑い、観光地である、食事がうまい、親日的。現地で、日本人の奥さんを持ち、子供に武蔵という名を付けている。美術館と博物館の両方の職員だという人に出会いましたが、大変親切で、現在の天皇が植樹した記念の場所にも、連れて行ってくれました。英語はブロ-クンなのでしょうか、何となく分かるという感じでした。美術館を案内してくれて、作者を今呼んでいると言われたときには、そんなー、困ったな-、と思いましたが。5分ほどでその美術館の持ち主なのか分かりませんでしたが、作家が現れ、あれこれ説明してくれました。ポケットから鍵を出し重そうな扉を開けてくれましたが、そこがアトリエで何点かの描きかけの絵が置いてありました。水彩の田舎の絵が安いので、一つ買いましたが、7000円ほどでした。その部屋から大きな部屋に移ったのですが、男の子が一人遊んでいました。案内してくれた人のむすこで、この子も今呼んだのそうです
日本語で話しかけてくれと言うので、年を聞いてみましたが、5歳という事でした。その後は何を言っても答えてくれず、武蔵についても、日本のえらい剣術使いで69回戦って一度も負けなかったと言うことなぞ言ってみたのですが、応答はありませんでした。1/3ほどは分かっているような気がしました。ペナンは一周するのに車で
1時間30分、案内すると、その、がっしりとした、強そうな、40歳くらいの色黒の係官が言ってくれたのですが、残念ながら次の機会にと言うことでそこで分かれました。
 ちょうど、雨期の時期で降って、曇って、晴れてとめまぐるしく天気が変わりましたが。ペナンでは、雨が降れば涼しく、晴れていれば、いつも暑く、34℃ほどだそうです。
 半ば頃の日、バティック工房をたずねてみました。図案、染色、縫製と一通りのことが出来る工房で、大きな売店もありました。そこでロウの型置きするところを見ましたが、それらのことを見るのは初めての経験で、何となく、同業者の意識があり、写真も撮らせて頂きました。工房の若い、マレ-の女性からCan you speak english と突然聞かれ、イヤ-ド-モコマッタナ-と言う顔をしていたら、分かった分かったという顔になり、黙ってしまいました。私も黙って、ソレデハドウモという感じでした。外国の人から、その様な質問を受けたのは初めての経験で、後で、残念なことをしたと思いました。分からなくても、YESと言えば良かった、今度はそうしようと思いました。かの地はやはり、かなりブロ-クンな英語のような気がしました。ホテル付きのタクシ-の運転手と親しくなったのですが、その人は6ケ国語をしゃべるのだそうです。どうしてそんなに多くの言葉が話せるのかと、質問したところ、読んで話すを繰り返すのだと言うことでした。日本では、この話し相手がなかなか見つかりません。この人は、船のコックをしていたとき、日本に行ったことがあると言っていました。広島、神戸、岩国などいくつかの地名を挙げていました。また、悲しいことですが、この地もスマトラ沖地震に遭い、ホテルの高い椰子の木のてっぺんを指して、あすこまで津波が来たとのことでした。想像を絶する高さです。余談になりますが、近くにTUNAMIカフェという名前のカフェがありました。
 ペナンは海岸が粘土質なので、綺麗に見える海でも、透明度がほとんどなく、魚を見る楽しみがありません。1時間30分ほど船に乗ると、やっと綺麗な海水浴場があります。昼ご飯を運んでくれたひとにカンビ-ルを頼んだところ、数缶持ってきました。冷えていて大変おいしかったのですが、持ってきてくれた青年も飲んでいました。真っ黒に日焼けしたスタイルの大変良い男でしたが、一缶飲むと、どこかに行ってしまいました。前を見ると一缶残っています。余ったのかなと思い、私が、それを飲んでしまいましたが、青年が帰ってきて、ここに置いてあったのは俺のカンビ-ルだと怒り出しました。楽しみにしていたようでしたが、すでに私が飲み終わった後で、すいません、すいませんと言いつつ、お金を出すと、無表情にその金を受け取り、まだ気持ちが収まらないようでしたが、気持ちは分かるので、この後は、おとなしくしていました。帰ってから、海岸では、気分が回復したらしく、愛想良く分かれました。また、中国系の美術館では、これも作者が現れて、いろいろ説明してくれました。私はユニセフの仕事をしている。といっていました。宮沢りえがきたこともあり、ここに座ってしばらく話していった。すっごくきれいな人だった。これが、その時の絵だという絵を紹介されましたが、確かに、そんな雰囲気でした。
 外国に行っていつも感じるのは、適切な英語がなかなか出てこないと言うことです。今回もそうですが、意志が通じ合ったりすると、とてもうれしい気分になります。今回、私が話した人たちの中で、一番よくわかったのは、自転車の前の箱車に乗っかって、のんびり観光したときのことですが、この自転車を運転していた、しわだらけの、老人の英語でした。この人は、こんな仕事をしているよりも、もっと何か、合った仕事があるのではないかなどと、日本人としては、考えてしまいました。
 

紫根染め

 投稿者:yoshi  投稿日:2005年 5月20日(金)10時02分59秒
   連休に盛岡市で総絞りの紫根染めを見てきました。その他に茜で染めた生地もありました。官位12階の徳の紫色を紫草の根で染めたそうですが、義が赤で、これは茜で染めたとのことです。なんとなく優雅な一時でした。それほど大きなお店ではないのですが、ここに来ると必ず寄るという若い奥さんや、観光客など様々な人がいろいろな製品に見入っていました。また市内を流れる中津川の清流にかかる橋から真正面にまだ雪の残る岩手山が見えました。通りすがりの地元の人が突然話しかけてきて頂上あたりが鷲のように見えますが、羽が綺麗なときは豊作だと教えてくれました。今年はもちろん豊作だそうです。賢治・啄木青春館は古い由緒のある建物でしたが、若年の頃、徹夜で一握の砂を読んだことなどを思い出しました。原敬記念館にも行ってみました。若いときから一度訪ねてみたかった不来方城の桜が満開、有名な石割り桜も案外駅に近く、散り始めた頃でした。歴史と文学と自然に満ちたこの地を又ゆっくり訪れることができればと思いました。ちなみに中津川はやや下流で北上川と合流します。  

紫陽花の花色

 投稿者:yoshi  投稿日:2004年 3月17日(水)16時35分0秒
   アジサイの花の色はどうして変わるのか(抄録)
   -植物における液胞の機能-
 植物には液胞と呼ばれる独特の細胞内顆粒(オルガネラ)がある。花では液胞は細胞体積のほとんどを占め、美しい多彩な色は、液胞内にたまったアントシアニンの分子会合や錯体形成により発現する。花色の主役はフラボノイド系色素のアントシアニンである。朱から空色まで幅広い色を、わずかな構造の違いで発現する。しかも花弁を搾ると速やかに退色する。アジサイの花を顕微鏡で見ると2層目だけに着色細胞が並び色素は液胞に溶けている。個々の細胞の色は異なり、紫の花では青、紫、赤色細胞のモザイクである。
 アントシアニンはpH感受性の色素でリトマスのように変色する。花色に応じて液胞pHは異なるだろうか。そこで、1個の細胞の色とpHの同時測定を、顕微分光分析(10μm以下の光速)と先端径1μm以下の細胞内微小電極を組み合わせて実現した。アジサイの青色細胞の液胞はpH4.1で、赤色のpH3.3よりも有意に高く、色とpHの相関が認められた。アジサイでは細胞毒のアルミニウムイオンを高濃度(>0.02M)に貯めて隔離し、アントシアニンのアルミニウム錯体が形成され、その結果花色が青色になる。アジサイは日本原産で、原種は青である。
          吉田久美:化学と工業 第57巻 第3号 217-218(2004)
 

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