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  2. 秋山白兎に話したいこと。(0)
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きれいな女優さんでしたね。

 投稿者:秋山白兎  投稿日:2018年 7月11日(水)16時06分23秒
  若いころはきれいでしたね。最近はややお年を召したように思われます。
銀行マンと結婚して身持ちの良い生活をされているそうで大変結構だと思います。
 
 

中野良子

 投稿者:幸ちゃん  投稿日:2018年 7月11日(水)13時45分3秒
編集済
  秋山白兎さん、こんにちは女優の中野良子さん。
大映演技研究所を経て三船プロに所属。デビューのきっかけは『われら高校生』(NHK)。
1971年、映画『二人だけの朝』で初出演デビュー。同年、大ヒットした『天下御免』のヒロイン役で高い知名度を獲得。
1978年、カネボウが行なった「唇美人」調査で、若尾文子を抑え、1位に選ばれる。
1979年、『君よ憤怒の河を渉れ』『お吟さま』が中国で上映され、特に前者で演じたヒロイン・真由美役は強い支持を得て、8億人以上が視聴し、中国でも人気女優に(このときのヌードは吹き替えだったが、当然、中国ではこのシーンはカットされた)。
1984年、首相訪中の際のゲストとして、キャスターに起用される。以後、外務省の依頼で世界各国に派遣され、国内外で講演会を多数開催する。
1995年、中国・秦皇島中野良子小学校を共同建設。
1999年、ニューヨーク市の公立学校の課外授業に「中野良子の地球の志」が採用される。
数々のTVドラマ、映画、舞台出演を経る中で、中国・フランスでも人気を博す。俳優の活動とともに「WILL国際文化交流センター」の代表として「中野良子の地球の志」、「心の豊かさと自然」、「世界の中の日本の魅力」、「日本の社会とその方向性」、「新しい時代に合った、まちづくり語り合う、学び合う」などの課題で日本各地で講演やTV出演。また、トーク・コンサート、執筆などでも活躍。
趣味・特技:歌、英語、ソフトテニス、国際交流。 秋山白兎さんのご感想をお願い致します。
 

菅野美穂さんは好きなタイプではありません。

 投稿者:秋山白兎  投稿日:2018年 7月11日(水)12時30分13秒
  坂東英二さんはほめちぎっていましたね。私の好みのタイプではないのです。  

菅野美穂

 投稿者:幸ちゃん  投稿日:2018年 7月11日(水)11時16分26秒
編集済
  秋山白兎さん、おはようございます。今日も暑いですね。今日は女優の菅野美穂です、堺雅人の奥様です。演技派女優です。秋山白兎さんご感想をお願い致します。
 

美保純はいいね。

 投稿者:秋山白兎  投稿日:2018年 7月10日(火)20時42分15秒
編集済
  静岡市出身の芸能人では一番好きです。  

三保純

 投稿者:幸ちゃん  投稿日:2018年 7月10日(火)13時29分23秒
  秋山白兎さん、今日は松富リハビリテーションでお世話になりました。噂の三保純さんです。
静岡市出身。実家は木工業を営み、父は家具職人[1]。兄と姉がいる。中学生時代、部活はバレーボール部に所属。
静岡精華学園高等学校中退。静岡市内のデパート勤務の後、1980年に「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝する(審査員の1人は小林克也だったことをオフィシャルブログ内で明かしている)。その後上京して広告代理店でアルバイト中にスカウトされ(スカウトしたのはテレビドラマや映画のプロデューサーで、1983年当時美保の所属していたプロダクションの社長でもあった大曲暎一)、1981年に映画『制服処女のいたみ』で主演デビューする。1982年には映画『ピンクのカーテン』でブルーリボン新人賞を獲得した。
「隣のお姉さん」的な親しみやすいキャラクターで、週刊誌のグラビアなどに登場して人気を博し、デビューから約1年後には一般映画にも出演した。『男はつらいよ』でタコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ役などに抜擢される。
現在も多くの映画、テレビドラマ(『菊次郎とさき』、『クライマーズ・ハイ』)、バラエティ(『Dのゲキジョー』パネラー)に出演し、活躍している。
エピソード
デビュー前、静岡市内にあった西武百貨店に勤務していた。そのデパートの目の前で静岡駅前地下街爆発事故が発生した。大騒ぎの最中、店内に美保の姿がなく、確認が取れなかった。もしや店外に出た際に爆発に巻き込まれたのではないか? と懸念の声が上がっていたまさにその現場に、周囲が騒いでいる光景に驚いた顔をしている美保が現れた。実は事故が起きた時間帯は美保の昼休み時間に当たっており、恋人と狐ヶ崎ヤングランドに出掛け、デートを楽しんでいたという。同僚や上司は安堵するやら、呆れるやらだったという。美保自身も自著で「当日、休みだったら巻き込まれていたかもしれない」といったようなことを振り返っている。
デビューした当初は、公式プロフィールの年齢を1歳サバ読んでいた。デビューが決まった当時20歳だったが、「10代でヌードになるのと20歳でなるのとではインパクトが全然違う」と当時のマネージャーから言われ、19歳でデビューしたようにされていた[1](『風に吹かれて』巻末(p.220)のプロフィールも「1961年(昭和36年)生まれ」となっている)。
1982年に日清食品「焼そばUFO」のテレビCMに出演した。日活ロマンポルノでデビューした女優がCM出演することは当時では珍しかった。また、同年国鉄夜行バス「ドリーム号」のポスターに採用された。掲示していたポスターが粗方盗まれるほどの人気ぶりだった。
1989年、オープンカーを運転していた時に電柱に衝突する事故を起こしている。その際、フロントガラスに頭から突っ込んでしまい、破片が頭部や顔面を激しく裂傷したため8針ほど縫った。またその後、女優でタレントであることを考慮し、傷痕や引き攣りなどを修正するため美容外科で手。
『5時に夢中!』では中村うさぎとの掛け合いの絶妙さから「うさじゅん」コンビと呼ばれていた。
ポルノ女優時代のことを隠そうとはしておらず、「5時に夢中!」でも自ら当時の裏話や思い出話をすることが多い。
小顔のため、デビュー当時のニックネームは「干し首ミイラ」だったとのこと。
「美保純」という芸名の由来について、名字の『美保』は三保の松原から取ったものであり(名付け親は映画監督の渡辺護)、下の名前の『純』はデビュー当時に“レイコ"や“ジュンコ”といった芸名が流行っていたことからジュンコを取り、「ミホジュンコ」だと語呂が悪いので“子”の部分を省いて「美保純」となったという。 秋山白兎さんのご感想をお願いします。
 

本番でも上手い。

 投稿者:秋山白兎  投稿日:2018年 7月10日(火)06時26分4秒
  演技で上手いってことは本番の実技でも上手いってことでしょうね。
ポルノ出身でも美保純は可愛いですね。
 

東てる美

 投稿者:幸ちゃん  投稿日:2018年 7月10日(火)05時46分26秒
  秋山白兎さん、お世話になっております。今日はリハビリテーションいつしょですね。東てる美さん、ですね。
ピンク映画を経て1974年、『生贄夫人』で日活初出演。当初の谷とのコンビによるSMものから次第にアイドル的なポジションにシフトし、1976年の『禁断 制服の悶え』でトップ女優としての地位を確立。『生贄の女たち』『天使の欲望』などもヒットした。『闇に白き獣たちの感触』では21歳にして監督デビューも果たしている。
その後、舞台やテレビドラマにも進出し「お金を払って私の裸を見に来て下さるファンに申し訳ない」として、舞台ではヌードを披露することがあったものの、テレビドラマでのヌードシーンは拒否していた。
1980年代以降は橋田寿賀子脚本作品に多く起用され、特に『渡る世間は鬼ばかり』の小姑・小島邦子役で有名になる。
白川和子・宮下順子・山口美也子・岡本麗・美保純らとともに「ロマンポルノ出身で一般作でも成功した女優」の1人として活躍。
ポルノ引退後、マネージャーの男性と結婚し、娘をもうけたが離婚。
シングルマザーとなり、女優業と並行で世田谷区二子玉川で漫画の古本店舗を経営して事業家として成功する(チェーン店は一時期40店舗まで拡大し、店舗は2018年現在も営業中)。2016年にはロシアの大企業の共同出資をするなど女優業よりも実業家の方に重点を置いて活動しており、週刊誌業家としては、高級いちごの生産も行っている。
2007年、『特命係長 只野仁』にて、久々に激しいベッド・シーンを演じた。ただし裸身は後ろ姿に留まった。
2014年3月19日から開幕した小林旭主演の舞台「熱き心で突っ走れ」では小林演じる織田信長の母親役で出演予定だったが、「座長の小林さんから数々の暴言やいじめまがいの演技指導を受け、初日の4日前に一方的に降板させられた。人権無視だ」とフェイスブックで明かした。東は15日夜に制作側から降板を告げられ、「小林さんからの謝罪はありません」「今までの女優人生で最悪の出来事。クビなら補償しなければならないが、私の都合で降りたならその必要もない。小林さんのやり方はあまりにも汚いと取材してきた各マスコミに答えている。同作のために東は4カ月間スケジュールを押さえており、補償などについて主催者側と交渉。小林の所属事務所は「その件についてはコメントできません」としている。
1976年、チンパンジーのオリバー君が来日した際には「オリバーくんの子供を産みたい」と発言した。
テレビドラマに出演して数年が経ち、生放送のワイドショーで「ポルノ女優の東てる美さんが…」と連呼されたことがあり、直接テレビ局に抗議の電話を入れたことがある(「私は女優であってポルノ女優ではありません!」と苦情を申し入れたが、担当のレポーターは「私は東さんがポルノ出身で名を挙げた方なのでポルノ女優と言っていたんです」と抗議の電話に反発するかの様に「ポルノ女優」と何回も連呼された)  秋山白兎さん、のご感想をお願いします。
 

出ました!!

 投稿者:秋山白兎  投稿日:2018年 7月 9日(月)21時13分32秒
  公明党の美人議員のトップでしたね。文句なく美人議員です。  

松あきら

 投稿者:幸ちゃん  投稿日:2018年 7月 9日(月)21時08分10秒
編集済
  秋山白兎さん、こんばんは今日は公明党参議院議員松あきらさんです。
松あきら
日本の政治家
松 あきら
まつ あきら西川 玲子にしかわ れいこ
生年月日
1947年12月3日(69歳)出生地神奈川県川崎市中原区
出身校宝塚音楽学校
前職俳優
所属政党(新進党→)(黎明クラブ→)(公明→)公明党
配偶者夫・西川知雄(元衆議院議員)参議院議員
選挙区
神奈川県選挙区当選回数3回
在任期間
1995年7月23日 - 2001年7月22日
2001年7月29日 - 2007年7月28日
2007年9月7日(繰上当選) - 2013年7月28日
松 あきら
本名西川 玲子(にしかわ れいこ)
旧姓:松本(まつもと)
別名義西川 玲子
生年月日1947年12月3日(69歳)
出生地川崎市中原区
国籍日本
身長167cm
血液型AB型職業俳優
活動期間
1966年 -
活動内容
1966年:宝塚歌劇団入団、星組配属
1974年:花組主演男役をする
1978年:花組トップスター就任
1982年:宝塚歌劇団を退団
退団後:舞台、テレビドラマなどで活動
主な作品
宝塚歌劇
『虞美人』
『ベルサイユのばら』
『風と共に去りぬ』
表示
参議院議員(3期)、経済産業副大臣(第3次小泉改造内閣)、公明党副代表、参議院総務委員会常任委員長、政治倫理審査会幹部役員などを歴任した。
夫は元新進党衆議院議員の西川知雄で、娘が一人いる。
4.1 宝塚歌劇団所属時代
4.1.1 初舞台・星組時代
4.1.2 花組時代
4.1.3 花組トップ時代
4.2 宝塚歌劇団退団後
5 テレビ番組
5.1 テレビドラマ
5.2 バラエティ番組
6 宝塚歌劇団時代の受賞歴
7 役職歴
7.1 内閣
7.2 参議院
7.3 公明党
7.4 議員連盟
来歴
1964年、横浜雙葉学園1年修了時に宝塚音楽学校に合格し、高校を中退して宝塚音楽学校に入学。
1966年、宝塚歌劇団に入団。月組公演『日本の四季/ファンタジア』で初舞台を踏む。同期に瀬戸内美八、川地民夫夫人の麻生薫(1988年死去)らがいる。入団時の成績は51人中37位。同年12月4日、星組配属。のちに花組へ組替え。
1974年、甲にしき退団後同期の瀬戸内とともに安奈淳へのつなぎとして花組主演男役を務めた後、安奈・榛名由梨トップ時代の2番手として活躍。1978年、安奈の退団にともない『遥かなるドナウ/エコーズ』で再び花組トップスターに就任。相手役には当初上原まり・北原千琴が歴任し、1979年より美雪花代、1981年より若葉ひろみが務め、また、1980年からは順みつきとの二人トップ体制を挟み活躍。
1982年12月6日をもって宝塚歌劇団を退団。なお、退団公演『夜明けの序曲』は文化庁芸術祭大賞を受賞した。退団後は、舞台やテレビドラマなど女優業を中心に活動。
1995年7月、第17回参議院議員通常選挙にて新進党から神奈川県選挙区に立候補し、初当選した。同期当選に、元花組組長の但馬久美がいた。なお、政界進出を機に芸能活動は休止状態となった。 秋山白兎さんのご感想をお願いします。
1996年10月、夫の西川知雄が新進党から第41回衆議院議員総選挙に立候補し、落下傘候補ながら当選を果たす。しかし、4年後の2000年に西川は改革クラブから立候補し、落選。
2001年3月22日、国会審議にて江本勝の著書『水は語る Water, it tells us precious things.』を肯定的に取り上げて教育の重要性を訴えたため、ビリーバーとして話題となる。
2001年7月、第19回参議院議員通常選挙にて公明党から立候補し、再選を果たす。2003年、参議院行政監視委員会にて委員長に就任。また、第1次小泉内閣にて経済産業大臣政務官に、第3次小泉改造内閣にて経済産業副大臣に任命された。
2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に公明党から立候補するが、自由民主党から立候補した小林温に破れ次点で落選。しかし、当選した小林の秘書らが日当買収容疑で逮捕され有罪となり、小林が参議院議員を辞職したため、公職選挙法の規定に基づき松が繰り上げ当選を果たした。
2012年8月、翌年の参議院選挙には出馬せず政界から引退することを表明。秋山白兎さんのご感想をお願い致します。
 

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